列車を降りてはまずファインダーを探した。 通常ならば同僚を探すところだが、今回のパートナーの辞書の中に「人を待つ」という言葉はない。 直接現場へ向かった方が得策だろう。 「こちらです。」 「フィリップさん。」 白い衣装はやはり目立つ。 は顔馴染みのファインダーのもとへ駆け寄った。 「今回もよろしくお願いします。」 「こちらこそよろしくお願いいたします。 お疲れのところ申し訳ありませんが、目的地へは徒歩で行くことになります。」 「解りました。」 相変わらず丁寧に対応してくれる彼の口調はすっと背筋を伸ばさせてくれる。 ちょっとおどけて敬礼をしてみると、彼は柔らかい笑顔を返してくれた。 今回の奇怪は、湖にあると道を進みながらフィリップは教えてくれた。 幻覚を見せる霧が発生するらしい。 そして、長時間その中にいると意識を失うものが出てくるそうだ。 「我々の中にも何人かが探索中に霧に当てられたものがおります。」 「その人たちは?」 「宿泊先にて療養しておりますが、依然回復しておりません。」 「なるほど。」 今回の任務を割り当てられた理由はそれかとは納得した。 「神田は?」 「昨日到着されてます。」 「それじゃあ私は先に眠っている皆さんのところへ向かいますね。」 「いいんですか?」 フィリップは戸惑い気味に訊ねてきた。 パチパチと瞬いている様が少し幼く見える。 「なにがですか?」 「神田殿と合流されないのでは?」 「ふふ。神田のことだからきっと先に湖を調べはじめているんでしょう?」 少し苦い顔をしながらの頷きが返ってきた。 きっと神田はなにも言わずに宿を出たのだろうことが想像できる。 「だったら、先に皆さんの様子を見る方が優先です。 原因が解った方が探し物も絞り込めます。」 すたすたと歩を進めながら早く行きましょうと促され、フィリップはすこし複雑な笑顔を浮かべた。 相変わらず、不器用な子供たちだ。 神田はため息をつきながら宿に帰ってきた。 昨日今日と湖の周りを探ったが、有力な手がかりは何も見つからなかった。 苛立ちを抑えながら、荒々しく扉を開く。 「お帰り、神田。」 部屋に入れば、にこりと笑っている同僚を見つけた。 「チッ。」 「ちょっと、なによその舌打ち!」 「よりによってお前かよ。」 「随分なご挨拶ね。そんなに私との仕事が嬉しいわけ?」 「お前と組んで当たりを引いた試しがねぇ。」 「失礼な!」 そもそも全部で109個しかないものを探しているのだ。 普通に考えたら当たりを引く方が難しいというのに。 「それで?なにか見つかったの?」 「お前が来たせいで霧も出なかった。」 「はいはい。要はなにも解らなかったのね。」 特に返答は返ってこなかったが、まあそれが答えだろう。 その証拠に彼はと目を合わそうとしなかった。 「こちらも似たようなものよ。」 椅子に再び腰を掛けながらは続けた。 「一先ず眠っているファインダーさんたちにエンブレムの光を浴びさせているわ。 無事に目が覚めれば、ダークマターが例の霧を作っている。」 「で、それが解るのはいつだ。」 「早くて明日の夕方ね。 はい、そこ舌打ちしない。」 は足を組み替えて神田を睨んだ。 「しょうがないでしょ、エクソシストならともかく普通の人に突然大量のイノセンスの力を注ぐのは体に毒なんだから。」 「んな悠長に待っていられるか。」 「それはもちろん。」 にっこりと笑い、は続けた。 「同時進行で調べましょう。」 次の日の朝から二人は例の湖へと足を向ける。 眠っているファインダーたちのことはフィリップに任せた。 異変があればすぐに報せてもらえる手筈になっている。 「今日は霧が出ているといいわね。」 「出てなかったらお前のせいだ。」 「はいはい、そんなにピリピリしないの。」 湖に着けば案の定今日も晴れていた。 晴れていることを残念に思うなど、なんとも不思議な任務だ。 一先ず二人は神田がまだ探し回っていない箇所から探索を始める。 「人もいなければ戦闘もないか・・・神田が恐くって出てこられなかったりして。」 クスクス笑えど返ってくる言葉はやはり皆無だ。 小さく苦笑をこぼし、は改めて周りを見回した。 やがて彼女は目の端に捕らえたものに口角を上げる。 「神田。」 「あ?」 クイッと顎で示された先には、木々に隠れた小さな小屋。 二人は同時にそちらへ歩き出した。 何度か扉を叩いても中から返事はなかった。 そこで小さくお邪魔しますと囁き、は中に踏み入れる。 中の様子はかなりこざっぱりとしていた。 必要最低限のものしか置かれていない。 ただ、目の端に捕えられた小さなレースが敷かれた棚が妙に印象的だ。 「廃墟か。」 低い声にそうかもね、とだけ返し、は奥にあった机に近づく。 幾つかの本と紙、そして白い器がそこに乗せられていた。 そのどれにも少しずつ埃がかかっている。 さっとあたりを見回して、並べられた本の内一つだけ様子が異なる一冊にの手は自然と伸びていた。 「日記?」 きれいな文字で綴られているそれはこの家の主のものだろう。 「日付は、3ヶ月前が最後か・・・」 ぱらぱらとページを捲り、滑らかな文字を追っていく。 ふとそこで字体が崩れているページでの手は止まった。 「・・・。」 カタン、と扉が開きそちらへ目をやった。 そこにいたのは一人の男。 ファインダーとは違う服装に身を包んだその男は目を見開いてそこに立っていた。 「ごめんなさい、勝手に上がり込んで。このお家の方ですか?」 にこりと笑いかければ男は戸惑い気味に頷いた。 「あんたたちは?」 「旅行客です。」 少し神田の目付きがきつくなったがはそのまま続けた。 「湖の近くで不思議なことが起こるって噂を聞いて見に来たんです。」 「そんな噂があるのか。」 「ええ。なにかご存じじゃないですか?」 「悪いけどなにも知らないな。」 かたんと背に背負った荷物をおいて男は言った。 「悪いが出ていってもらえるか。これから仕事がある。」 「あ、そうですよね。すみません。」 スッと踏み出すは少し迂回するように歩いて、さりげなく男が背負っていた荷物が見える場所を通る。 「綺麗なお花。」 横目に捕らえた籠の中身を見てはにこりと笑った。 「全部同じ花なんですね。」 「ああ・・・」 「一輪だけ貰っていってもいいですか?」 男は戸惑っているのか少し沈黙したが、やがてしぶしぶ頷き返してきた。 機嫌良さそうに花を見つめて歩くの背中を神田は睨みながら進んだ。 任務を忘れて花に夢中になるなど、呆れてものも言えない。 「かーんだ。そんなに殺気を飛ばさないでくれる?」 背中が痛くなっちゃうわ、と続けた彼女の表情は明るい。 自然と舌打ちが口から漏れる。 「なーんでそんなに機嫌が悪いかなぁ。」 「お前が呑気に花を愛でてるからだろう。」 「あら、綺麗なんだからいーじゃない。」 「チッ。」 「それに、これは大きな収穫なのよ。」 「ああ?」と不機嫌な声が飛び出しそうになったが、寸でのところそれは止まった。 花を片手にニンマリと笑う彼女の表情は見覚えがある。 「この花ね、水の多いところに生息するの。観賞用にとっても素敵だと思わない?」 「ふざけてねぇで早く本題に入れ。」 「はいはい。」 仕方がないなぁ、と腰に手を当ては続けた。 「この花は通常なら無害な花よ。観賞するもよし、香りを嗅ぐのも問題ない。 でも、調合の仕方一つでこの花は鎮静作用のある薬になる。」 「薬草、ってことか。」 「そう。鎮静剤として摂取する場合、その副作用として軽い眠気が襲う。 それともう一つ特徴があってね、調合方法を変えると幻覚剤にもなるの。」 「・・・ほう?」 「ね?どこかの霧とよく似た症状よね?」 ニヤリと上がる神田の口許を見ても微笑む。 「生息地の目星はついてんのか?」 「それは探してみないと解らないわよ。」 「役立たずが。」 「あのね、初めて来た場所で薬草が生えてるところが解ってたらそれこそおかしいじゃない。」 だがこれで、最初に何を探すかは確定した。 「一先ず奇怪の原因はそこか。」 「あるとするならね。」 「あ?」 見やった先には、少し悲しげに来た道を振り替える彼女がいた。 「そういうことかよ。」 「多分。」 苛立たしげに神田が踵を返そうとしたが、がそれを止めた。 「ダメよ。彼は案内人なんだから。」 「・・・てめぇと組むとろくなことがねぇ。」 「それ、あんまり言うと本当になるわよ?」 返答はとくになかった。 背後の気配を気にしながら二人は湖の周りを花を求めて探す。 周りと言っても昨日の神田が探したところよりも幾分か外側だ。 サクサクと進みながらまた背後の様子に気を配る。 「こっちかなー?・・・やっぱりこっちみたい。」 「直接聞いた方が早いだろうが。」 「一理あるけど却下。」 鋭い目線が理由を訊ねてきた。 「絶対教えてくれないだろうし、それでイライラした神田が勢い余って切り捨てちゃうから。」 ドスドスと隣を歩く足音が荒くなった。 同様に、着いてくる男の気配もソワソワとしている。 きっと目的地はすぐ近くだ。 その証拠に、彼はこちらとの距離を無意識に縮めている。 ―――あと少し、もう少し。 「あのぅ・・・」 ―――ほら、掛かった。 「あら?さっきのお兄さん?」 あくまでも自然に振り返り、は笑顔を向ける。 「どうされたんですか?」 「いえ、君たちがたまたま見えたから。 ・・・どこへ向かおうとしているんだい?」 軽く神田に目をやり、は戸惑っている様子を見せた。 その視線を受けた神田はまた小さく舌打ちをする。 「てめえには関係ねえだろ。」 苛立ちを隠しきれていない声音に男は更に戸惑う。 「あ、あの・・・」 「ああ?」 「いえ、その、あんまり進むと迷ってしまいますよ・・・」 「るせえ。花探して帰るだけだ。」 「は、はな?」 男の声を無視してざくざくと神田が歩き出す。 「あ、あの!!」 慌てて止める声を背中で受け止め、もその後に続く。 「ちょ、ちょっと!!!」 だんだんと荒くなる男の声。 『待てって言ってるだろうが!!!』 そして、男は二人に向けて銃弾を打ち込んだ。 「やーっぱりアクマさんか。」 悲鳴や何かが崩れていく音とは違って、耳に届いたのは何とも能天気な声。 間違いなくあの少女の声だ。 「気づいてたんじゃねえのか。」 「気づいてたけど、まあ、違ったらいいなって。」 「そんな都合よくいくわけがねえだろうが。」 「あはは、やっぱり?」 男は少し戸惑った。 が、そこは伯爵様が作り出した機械。 その程度のことで惑わされる訳がない。 直ぐ様完全にコンバートして攻撃に繰り出す。 『おのれ、エクソシストめ!』 こんな時に出てくる言葉はなんとありきたりなものだろう。 なにか暖かく、ドキドキするものを感じながらアクマは辺りに霧を撒き散らした。 「コイツが霧の正体って訳か。」 「残念、やっぱりイノセンスじゃなかったか。花についてたらいいなって思ってたのに。」 「そううまくいくかよ。」 「って、神田!吸わないように気を付けてよ!」 「それはテメェの仕事だろう。」 「あ、ちょっと!」 淡い光を放って振り上げられた刀がイノセンスだと、自動的に解った。 始めて見たのにそう識別できるのはさすが伯爵様だ。 その棒状に伸びる光に向けてさらに濃い霧を吐き出す。 さあ、これであのエクソシストも終わりのない夢に誘われて地に落ちる。 確信が広がりを見せ始めたのと呼応するように、自分の足元から光が溢れ、辺りを照らした。 ほら、伯爵様。 あなたの産み出した機械はこんなにも素晴らしいのですよ。 高揚する意識の中、自身の両肩に衝撃が走ったことは大した問題ではなかった。 「いってらっしゃい、ミス・イリーナ。」 『ありがとう。』 なぜか口をついて出た感謝の言葉に疑問を感じる間もなく、暖かいなにかに包まれて機械はその機能を停止した。 「結局ハズレかよ。」 「いいじゃないの、アクマをちゃんと破壊できたんだから。」 未だに殺気を撒き散らしながら刀を仕舞う神田に、は笑った。 「やっぱり、てめえと組むんで当たることはないな。」 「それ、私も神田に向かって同じ台詞を言えるって解ってる?」 小さく息を吐いても自分の腿にあるホルスターに小さくした薙刀を収めた。 地面には未だに発動を解かれていないのイノセンスがダークマターを分解していた。 その後ろにある木々の間から白い色が所々見え隠れしている。 あの花だ。 「きっと守りたかったのね、アクマになっても。」 それは二人の内どちらの意志だったのか、今のたちには知る術はない。 むしろ、そんな意志がそもそもあったのかもわからない。 ただ、目の前に見える景色が素直にそんな言葉を口に乗せた。 「行くぞ。」 「うん。」 アクマの残骸に残るウィルスが相殺されたことを確認して、二人はその場を離れた。 「おやすみなさい、 ミスター・クラウス。」 帰りの列車の中で、は小さな本を膝の上で開いていた。 それはあの小さな小屋で彼女が見つけたもの。 「持ってきたのか。」 はにこりと笑ってまた開かれたそれに眼を落した。 それは、あの男の日記だ。 青いインクはは美しい曲線を描いてページの上を流れていた。 几帳面で、丁寧で、優しい文字だ。 そこには、些細なことで幸せを感じる二人が描かれていた。 本当に微笑ましい、二人の恋人が育んだ想い出たち。 その幸せに陰りが出てきたのは、突然。 あのアクマに縛られていた魂の持ち主が病に倒れたのだ。 はじめは軽い眩暈。 食欲不審。 そして、吐血。 薬学に精通していたクラウスは、恋人の体に巣食ったそれが不治の病であることに気づくのにそう時間はかからなかった。 そこからは彼女への想いと悲しみが日記につづられていく。 少しでも彼女のためにと、薬学の研究にも一層励んだのだろう。 しかし、病は進行していった。 僕がしてあげられることはこんなにも少ない・・・ 薬ではもう、これ以上なにもしてあげられないのか・・・・ 最近イリーナは、随分と寝苦しそうだ。 病が進行しているのか。 見ていて、胸が張り裂けそうだ。 神よ、奇蹟を起こしてください。 イリーナのために、あの花を使った薬を作ろう。 彼女の好きな花が、彼女の少しでも苦しみから救ってくれるのなら・・・ イリーナは随分弱ってきたようだ。 薬を使ったおかげか、少し寝顔が柔らかい。 良い夢を見ているのだろうか。 願わくば、眠りの中でだけでも、安らかな一時を・・・ イリーナが目を覚まさない。 もう何日目だ? 君の瞳を見ることができないだなんて 早く目をあけておくれ・・・ 彼女はきっと、その記述を書いた次の日に息を引き取った。 どうしてだ、イリーナ どうして・・・・・・・ 震えた文字は、ところどころ滲んでしまっている。 こんな、たった数行の文字すら滲んでしまうのだ。 それから数日後、再び書かれ始めた日記。 それ以降、少しずつ彼の文字は歪んでいった。 イリーナ・・・ 弱い僕を許してくれ。 夢幻でも、君に会いたいんだ。 イリーナ・・・ 君は今日もきれいだ・・・ イリーナ・・・ イリーナ・・・ 寂しさに耐えられないんだ。 明日でもう、あの花には触らないから・・・ 僕たちの想い出の花を、もう汚さないから・・・ 最後にもう一度 君に逢いたい。 その記述を最後に、日記は終わる。 「夢幻でも・・・か。」 寂しさに耐えられなかった男は、幻覚剤に手を伸ばした。 そこまで弱った心は、伯爵の格好の餌食だったろう。 読み取れた想いを胸に刻みつけたはその日記をカバンに入れる。 そして、彼女は報告書を書き始めた。 神田は、その様子を横目で眺めていた。 このまま別の任務へ向かう彼は、彼女が本部に提出する報告書を見ることはないだろう。 それでも、それが自分がいつも出しているものよりは分厚くなるだろうことを知っている。 そして、そこには一冊の本が添えられているだろうことも、神田は確信していた。 その理由は彼女から以前聞いた言葉を引用するなら、 「だってこれは私が送り出した魂の大切な記憶なのだから。」 |
<コメンツ> 一期一会。 たまたま出会って、旅立ちを手伝えたなら、せめて心に残しておきたい。 その人の生きざまを。 |
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